[虚妄の成果主義 → ほんとうの成果主義]


1.ほんとうの成果主義

 「ほんとうの成果主義」という言い方を、私はします。
 「ほんとうの能力主義」と言っても良いのですが、「ほんとうの成果主義」と言うほうが今の時代にあって前向きであると思います。成果とは未来に向けられたものだからです。
 誰だって自分が言うことを「ウソ」とは言わないでしょうから、あまり良い言い方ではありませんが、アレではない、コレでもないということを一言で言おうとするとそうなります。
 申したいことは「ウソかマコトか」「AかBか」ということを並列に並べることではなく、変化していく現実の社会の中で変化しながら生きている自分の眼前に「Aよりも明らかに良いBを」と縦に積み上げようとする努力です。それが誠実さです。
 人や組織が、成果を望むことは自然なことです。
 「成らせた」あるいは「成った」果実は、明日の糧にも成ります。私は良い言葉と思います。
 しかし今、「成果」という言葉は、「本当の成果主義」も含めて汚れています。

2.「虚妄の成果主義」という本

 東京大学教授の高橋伸夫氏が書いた「虚妄の成果主義−日本型年功制復活のススメ(日経BP社)」という本が、昨年(平成16年)ベストセラーになりました。年が変わる前に触れておこうと思います。
 最初にこの本を書店で見た時は「この表題を見て・・・どのような客層が飛びつくのだろう・・・」と、SMAPの『世界に一つだけの花』が中高年に売れているという話しを聞いた時のような気分になりました。1カ月後に私が買って読んだ本は既に5刷目。よほどに売れたのだと思います。
 当時、(日経新聞などで)過剰に喧伝されていた「成果主義」(私風に言えば「短期的個人業績−結果主義」)に対し「アンチ成果主義」とも言うべきブームになりました。
 この本の優れたところは、中身の部分で、デシにはじまりテイラー、ホーソン実験、ブルーム、マズロー、ハーズバーグ、チャンドラー、ドラッカー等々、尊敬できるアメリカの時代の「働く」ということについての様々な研究「成果」が、わかりやすくテキストのようにまとめられていることです。(同じ頃に売れた「成果主義」が上手くいかなかった企業の内実を若い元人事担当が暴露した本などとは違い、これは買って損のない本です。)
 そこを中心に手堅く論じれば名著になっていたでしょう。(売れなかったでしょうが・・・)そして売れたことについては、著者には「インパクトが強い金銭的報酬」が入ってきても不幸なことです。今思えば「企画もの」ではなかったかと思います。

 その優れたテキストのような部分と比較して、高橋氏が自分の頭で考え、表題のように主張しているところは、論理性に乏しく、感覚的で、感情的ですらあります。
 特に、「私は東大出身ではないが、〜」に始まる後書き「おわりに−幼稚な発想からの覚醒を」は、「X」が人から「X」と言われる前に、世界の中心で周りに向かって「X」と叫んでいるような・・・論理ではない・・・「X」が伝染してきそうな文章です。こういうのを呪術というのだろうと思いました。

3.批判する「成果主義」とは何か?

  この本は、徹底的に「成果主義」を批判しています。しかし、その「成果主義」とは何であるのか?不明なまま始まり、そして終結します。(読んでいる方は「俺の知っているアレか?」としか捉えられない。人それぞれに「アレ」は全面否定されることになります。)そして「おわりに−」で、それを「定義しないままで、ここまできてしまった」のは、意図的だったと、しかも攻撃的に、言い訳しています。
 言葉に誠実な『学者』の態度とは思えません。
 このような論は、「成果」「業績」「能力」「賃金」「給与」「給料」など、言葉を自分なりに定義しないで論じていくと、自分でも訳が分からなくなって、対象を突き抜け、机の向こうに落ちてしまうものです。
 「はじめに」で自分は「人事労務の専門家でもなければ、労働経済学者でもない。」と後から予防線を張ってクリアされることではありません。
 私は、この本の中身を読みながら、高橋氏が「虚妄」とする「成果主義」を
 「組織の目的(ミッション)や展望(ヴィジョン)を不明にしたまま/
  数値的目標達成率など、安易な定量評価に偏った/
  短期的(あるいは刹那的)『個人業績』(成果ではなく)を/過度に優先した配分制度」と捉えていました。
 それならそれなりに対処することができます。

 しかし、最後に明かされる高橋氏の「虚妄の成果主義」とは
 「できるだけ客観的にこれまでの成果を測ろうと努め、成果のようなものに連動した賃金体系で動機付けを図ろうとするすべての考え方、なのである。」
 単に、定量評価と動機論の問題です。
 なによりも問うべきことは「成果とは何か」と言うことです。
 「これくらい広く定義すれば、巷で『成果主義的』と称されるすべてのシステムが批判の対象となっていることはおわかりいただけるであろう。」
 広いというよりも・・・スカスカの網です。そして・・・
 「要するに『成果主義』はみなダメなのである。」
まるで・・・「邪馬台国は○○にあったのである。それは論ずるまでもないことなのである!」と言う「論文」を書いて、自他共に呪縛していく「大学教授」です。

4.何故、今・・・「日本型年功制」か?

  何故、「給料」で報いるシステムであり、「賃金」による動機付けという「成果主義」がダメで、「次の仕事の内容」で報いる「日本型年功制」が良いのか。それは充分に論じられているとはいえません。おそらくは高橋氏が得意な動機論、ハーズバーグの職務満足事象(「仕事そのもの」を含む)と職務不満足事象(「給与」もその一つ)を並列的に並べたものではないかと思います。どれほど優れた知識でも、机に座ってそれを頭の中でグルグルさせると不自然なものに変化するものです。
 高橋氏は、「共産党宣言」と「成果主義」から同じ(ユニークな!並べ方です・・・)滅びの「匂い」を嗅ぎます。しかし、その閉塞感に満ちた匂いの元はその思想や主義ではなく、その時代からのものでしょう。(そのような感覚的な物言いで言えば、この本からは「公務員」の匂いがします。ちなみにドラッカー風に言えば、公務員は悪でも不要でもありません。公務員に必要なことは、成果をあげることです。)
 「日本型年功制」は、戦後日本の高度成長を支えてきたものです。しかし、良かったのは、希望に満ちていたのは「日本型年功制」ではなく「昔の日本」でしょう。
 電車の吊り広告に映画「3丁目の夕日」の宣伝がありました。昭和30年代の3丁目の街と人々の夕焼けの空には・・・建設中の東京タワーが聳えようとしています。あの頃の映画の中で、東京タワーはモスラに破壊されますが日本人はそれをものともせずに再建します。悪い奴はギターを持った小林旭がやっつけ、最後は、老いも若きも楽しい地元のお祭りのシーン・・・。大晦日には家族みんなで紅白歌合戦。それからオイルショックまで、高橋氏が子供の頃から高校生ぐらいまで、日本は活力と希望に満ちていました。
 「それは、良かったべさ・・・」
 しかし、そのような「日本」は今、地球上のどこを探してもありません。

 「年」とともに「功」が増していくのが年功です。「年」をもって「功」とするものではありません。
 私は、上手くいかなかった「成果主義」、それ以上に現在における「日本型年功制」が企業の活力を失わせていることを見てきました。
 既得労働条件に「君臨すれど働かず」、そのような「年功制」が、働き盛りや若年者からの「搾取」になっていないでしょうか?若年者の正規雇用さえ、阻んでいないでしょうか?
 そこに、日本や企業の未来はあるのでしょうか?
 「年功制」が、中高年の可能性さえも、摘んでいないでしょうか?
 「虚妄の成果主義」という問題提起をするならば、問題解決のためには「(今の)日本型成果主義」でも、「総合的な成果主義」でも、私風に言うと「→成果主義」または「成果→主義」でも、その企業・事業体ごとに「ほんとうの成果主義」を考え、実行することです。

(平成17年11月 阿世賀 陽一)