ただ富士山だけを ありがとう パチリ。

1.表富士と裏富士と斜め富士

 師走の初め、年末の繁忙を前にして、合宿研修を名目に、研究会のメンバーで河口湖に行きました。
 宿は、改装したばかりの横文字のホテルで、元の名前は河口湖第一ホテルとか言ったそうです。
充分なマーケティングをした上、「女性の団体旅行」か「夫婦水入らずの旅」をコンセプトにデザインされたような・・・、庭に南国のリゾートホテルのような篝火を燃やし、館内には癒し系シンセサイザー音楽が流れ、お風呂にはハーブの香り・・・、親密な良く計画されたサービスも二重丸の、洒落た洋風の空間です。
 そして「ゲストルーム」というより、古き良き和風観光ホテルそのものの、部屋の新しい畳の匂いが、一層の安らぎを呼びます。
 朝のテレビに映った「今日の富士山」が、窓から見えるものと全く!同じものであることに驚かされました。ホテルの屋上には、そのテレビ局のカメラが常設されているそうです。
 その富士の姿は実に見事なものでした。太宰治が『富嶽百景』のなかで「あまり好かなかった」と書いた「あまりに、おあつらひむきの富士」です。
 昔のNHKの大河ドラマ・・・『武田信玄』・・・駿河国随一の富士の名所に、中井喜一の武田晴信を案内した中村勘九郎の今川義元が
「ここから見るのが・・・富士の正面にござる」
と言うと
「はて、面妖な。富士は、群臣である山々を従え君臨してこそ山の王者と申すもの。甲斐の国から見る富士こそ正面。ここからの富士は・・・まるで尻、丸出し!」
 それはまた、雄大な臀部と言うべきものですが・・・、研修のテーマは「富士山から何を学ぶか」でした。

2.富士の高嶺に降る雪も

 かつて1万円札であった聖徳太子は、黒駒に乗って富士山を越えたと伝えられます。
 我が師−楠田丘氏は、申されました。
「新幹線の窓から富士山を見るたびに、これからの賃金カーブを想います。」
 その内容はこうです。
 富士山の高さは3,776m。能力主義、すなわち人材の成長とともに昇給していく定期(もちろん人事考課による)昇給は(大企業でも)37万円ぐらいまでがいいところで、それ以後は自己の責任で、会社から期待された職責や自らの目標を加味した役割に果敢に挑戦していく成果主義段階である。37万円もらえるようになれば、後は聖徳太子のように花の都まで飛躍して行くか、あるいは大沢崩れというリスクもある・・・。
 それがこれからの日本の企業に(非営利企業を含めて)最善の道であり、それしかこれからの日本を救う道はないのかもしれません。
 成果主義よりも能力主義のほうが社員に優しいなどと言うことはありません。人間中心の人事マネジメントは、社員に甘いことではありません。ましてや能力主義と成果主義の併用は、怖ろしいほど、楽しく、やりがいのあるHARD DAY'S NIGHTでしょう。

3.富士に似合うものは

 山頂まで続く登山門がある北口本宮冨士浅間神社には、富士山が「三国一の山である」という扁額がありました。三国一というからには、中国と天竺の、エベレストや皇帝が封禪する泰山や世界の中心軸である須弥山よりも「上」と言うことです。山高きによりて貴からず。造山運動により地球から隆起し、雨風に削られたものではなく、自らがコンピテンシーを噴き上げ、自らを形成した活火山としての山。
 「富士には月見草がよく似合ふ」かどうかは、実際に並べて見たことがないので不明ですが、富士には品格という言葉が似合います。
 今年は、藤原正彦氏の「国家の品格」が売れた年でした。日本が今後「情緒と形」の国であるべきかはさておき、確かに「論理」は宇宙の果てまで届くものではなく、「合理」で人間が割り切れるものではありません。養老孟司氏もそうでしたが、理数系の方が書いた文書には、民主主義やら平等やら女性がウンタラとやらの言葉に拘泥し、かつ逡巡して、その実際には「どうするオレ!」の「損得」にまみれている人達から遠く離れた、自由があります。 

 富士にあって、シナイ山にもマッターホルンにもグランド・キャニオンにもないものは、「均衡」というものでしょう。
 能力と成果、人材と仕事、攻撃と防御、戦略と内部統制システム、自利と利他・・・等々の高位均衡。

 写真は、日の出前に起き、裸になって露天風呂で撮影したものです。
 凛とした姿の白峰に、朝日の紅が映えていました。

(平成18年12月 阿世賀 陽一)