社保庁のA評価

1. 懲戒を受けた社保庁職員のA評価

 9月7日の読売新聞に、保険料納付「率」という「業績」を上げるため、分子を上げるのではなく、無断で分母(納付すべき加入者数)を減らした「不正免除問題」で懲戒処分を受けた、課長級以上の社会保険庁職員152人(こちらの分母は4,556人なので3.3%)の人事評価の内訳が載っていました。
@賞与へ反映させる「実績評価」は「不祥事を起こしたことで、業務上の実績を上げられなかった」とみなして、全員がC評価かD評価。
A昇進や昇給へ反映させる「能力評価」は
A評価に「減給・戒告」処分者が26人
B評価に「停職」処分者が2人、「減給・戒告」処分者が78人
C評価に「停職」処分者が4人、「減給・戒告」処分者が42人
D評価に処分者は0
 「懲戒を受けても26人がA評価とはどういうことだ!」と言うのが「年金業務・組織再生会議」が疑問とし、またその報道の主旨でもあります。


2. 何が問題か? 

 これに、どのような感想を持つべきでしょうか?
・民間では考えられない!・・・・許すべからざる大甘な査定。
・賞与は一過性のものとして・・・・。そんなに昇進や定期昇給を守りたいのだろうか。
・3年後に迫る「日本年金機構」等への転職を前にした、公務員独特の「惻穏の情(身内かばい)」でしょう。
・公務員がそのような業績の設定と人事評価を、本当に・・・・始めたこと自体が、驚き!(でも、慣れてないのだろうな)
 
法律的にモノを考える人は
・一事不再理の原則から、懲戒と人事評価は分離されているべきものであり問題ない。
・不遡及の原則から、そのようなルールであれば当然。
 
賃金論に詳しい方なら
・実績評価と能力評価は、それぞれ別の基準によるべきものなので正当。

 社会保険庁は
「処分を受けた職員は、法令順守の意識の評価は最低点になるが、それ以外の項目の評価が高かった」
と説明しています。
 標語をDからAに押し上げる「それ以外」の評価が高かったということが、本当に説明責任を果たせるものならば、確かに「Aしかない」と思います。
 
 さて、そこで私が申したいことは
「第1次評価者から最終決定者までの目の前に、『法令順守の意識』と『それ以外』の項目が横に(空間的に)並んでいたのではないか?」
と言うことです。
(『○○の意識』と言うのも、「腐れ言葉」ですけどね。*「成果主義の神髄」参照


3.「横に並ぶもの」と「コレからアレへ」

 荘子内篇−第一逍遙遊篇に
「大空をとてつもなく高く飛ぶ巨大な大鵬から見れば、地球のものは(陽炎もゴミも生き物も)みな平等に青かった」というような話しがあります。
「だから、どうせ同じようなものじゃないか。高い境地からは、万物無差別・一切平等。」
なんて言うのは、高い境地にないわれら凡夫のトンデモナイ考えです。
 なぜなら話しの前提として、少なくとも「大鵬」と「地球のもの」は、同じものではないからです。 

 横に並んだものは「選択」することは、子供の好き嫌いや「ド・レ・ニ・シ・ヨ・ウ・カ・ナ」、そして責任ある人が鉛筆を転がして物事を決めるのと、さして変わりありません。そのようなことを「判断」とは言いません。

 横に並んでいるままでは、その組織のバリュー(価値観)は、見えません。
さらに、ミッション(目的)は、どの方向から来るものなのでしょうか?
 それを明確にして、始めて、業績目標とは何であるのか、何時、どの地点にあるのかが、はっきりします。
 
 技術的には、横に並んだものはウェイト付けして価値観を表現することが一般的です。しかし、それ以前に一度は
「(私にとって)コレがあって、ソレがある、そしてその向こうにアレがある」または「アレのために、ソレがあり、今私の眼前にはコレがある」というように、物事をタテに(時間的に)並べ直して、見ることが必要です。

 それは、経営の自己への「問い」から始まります。

 アレとは、社会保険という『法令』の執行者であり、国民の年金を扱う組織ならば、例えば・・・
「私たちは、全国民の幸福を願いながら、その全幅の信頼を得て、国民一人一人の生涯生活の安定と安心に寄与することにより、永劫続くべきわが日本国の基盤を維持する」
というような、コレの「目的」のことです。
 それをはっきりさせておけば「懲戒規定」も、「実績と能力の評価制度」も、対象である職員の方々も、変わったものになっていくでしょう。組織には、それを知らしめる経営者が必要です。


4.誰がために鐘は鳴る

 良くある喩話しですが・・・・
 ヨーロッパのある地方で、レンガを積んでいる労働者がおりました。
 そのうちの3人に、インタビューをします。
「あなたは、何のために働いているのですか?」

一人目の職人・・・
「1日レンガを○○○個積めば、○マルクの労賃がもらえます。こうして・・・・私は、自分の大切な、かけがえのない人生という時間を、雇用主に・・・・切り売りしているのです・・・・」
(そのゴタイソウな、あなたの「自分」と「人生」は、何処にあるのでしょうか?)
「切り売りしている」と言うだけあって、ここには時間性がありません。その日暮らしの等価交換を続けるということ自体が、物心両面での貧しさへのスパイラルです。

二人目の職人・・・
「ま 俺が、ここで一番の熟練工であるという・・・存在証明・・・って とこかな?」
(それは素晴らしいことですねぇ。)

三人目の職人・・・
「来年の春には、ここに、人々が集う大聖堂ができあがるのです。」

 さて、この3人の中で誰が一番、結果として高い生産性を維持し、そして目的に向かった事業目標に貢献するでしょうか?
 そして誰が一番、幸せでしょうか?

(阿世賀 陽一)