赤福は何を失ったか

1.食品企業の受難の年

 本年は二つとない「不二家」に始まり、希望の「ミート・ホープ」、潔白な私の「白い恋人」比内鶏という名前の会社が造る「比内鶏」、そして「赤福」「船場吉兆」に至るまで、原材料や消費期限、賞味期限の偽装が明るみになって、食品企業のコンプライアンスが厳しく問われてきた1年でした。
 偽装に偽装を重ね、工場長のせいにしようとしたり、パート社員に罪を被せようとしたり、子が親を刺したり、親が子をかばったり、その逆だったりのシェークスピアの修羅場です。そのような問題の発生は、企業経営に深刻な影響をもたらすことは言うまでもありません。

2.時間よ止まれ!

 消費期限は食べても安全な期限、賞味期限はおいしく食べられる期限等々とテレビのニュース番組やワイド・ショーが解説しています。賞味期限は製造者が決めるものなので、その曖昧さが誘惑になるのかもしれません。 
 昔は、製造日が表示されていて、自分の嗅覚と味覚などを頼りに、口に入れて判断していました。少々おかしくても「もったいないことをするとお百姓さんに叱られるよ」「加熱すれば大丈夫」などと言って、食べていました。そうでなくなったのは、「食のグローバリゼーション(アメリカニゼーション?)」とかで「製造年月日の表示は、自由貿易への障害である」との外圧があったからだとも聞きます。
 さて、問題になってきた多くの食品偽装問題の中で、私にとって、とりわけショックが大きかったのは、冷凍保存していた製品を、解凍日を製造日として出荷して、賞味期限切れ、あるいは使用費期限切れの疑いもあり、さらに売れ残り商品の再利用などをしていたことが明らかになって、創業300年目にして、無期限の営業禁止処分を受けた老舗和菓子メーカー「赤福」でした。

 赤福の社員は「冷凍すると時間が止まるから大丈夫と指導された」と答えています。
 「時間よ止まれ(キミは美しい)」という願いは、ゲーテのファウスト博士も、手塚治虫のサブタンも、スーパースターの矢沢永吉も、祈ったり、叫んだり、渋く・・・歌ったりしていますが、それは、叶わないからこその願いであります。マイナス百歩譲って「時間よ止まれ、もったいない」と冷凍庫に入れて「止まった」としても、解凍した時に「浦島太郎」になるのは道理というものです。(食品企業に勤務する友人の話しによると、冷凍して解凍すると食品の組織が破壊されるので、危険が増すそうです)
 赤福餅の時間は、止まるものではありません。
 赤福自体の時間は、確かに止まりました。

3.赤福の経営理念

 赤福に、「ブルータスよ、お前もか!(何故、シーザーがそう言ったかというと、ブルータスの母は、シーザーの永年の愛人で、ブルータスのことをシーザーは「実の息子ではないか」と思っていたと言う説があります。余談)」と驚かされるのは、食品衛生法とか、日本農林規格(JAS)法とか、不正競争防止法とかの法令遵守の問題を超えたものがあります。
 その経営理念は、次のとおりです。
『製造したその日限りでの販売を行う。
 造ったその日のうちに味わって頂くことが、創業以来の基本理念である』

 賞味期限というような曖昧な概念を吹き飛ばす、創業300年の、時を越えてきた凄い宣言です。
 今から12年前・・・・、経営者団体の研修会で、赤福の番頭さん格である役員が、その経営理念を実現し続けるために「いかに厳しく、工夫し、苦労しているか」という話しを聴講して以来、私は赤福をリスペクトしてきました。名古屋方面に出張し、駅で「赤福餅」を目にするたびに、その話しを思い出していました。
 あれは・・・・全部、真っ赤なウソだったと言うことか、それとも、その後に会社があの番頭さんの努力を裏切ったのか、その頃から、おおむねホントウで根本的に少しウソだったのか、定かではありません。

 かつて(私の北海道の酪農をしている親戚も出荷していた)巨大企業、雪印が返品牛乳を再出荷して集団食中毒事件を起こしたとき「東洋人は牛乳で下しやすい」と回答し、経理出身の社長が「キミ!私は寝てないんだよ」と怒鳴り、そして「私たちは真面目にやってきました。もう許してください」と謝っても、世間は許してはくれませんでした。
 昔、「釘師サブやン(作:ビッグ錠/牛次郎、少年マガジン連載)」というパチンコ・マンガでライバルのゴト師(パチンコで不正に儲けるプロ)が
「玉に油を塗るときは、必ず、雪印バターを使用しなければならない。なぜなら、最も純度が高いからである!」
というようなことを言っていました。
 あの時、屋外で返品牛乳に脱脂粉乳を混ぜていたという現場には、次の大カンバンが懸かっていました。
『品質は、私たちの良心です』

 会社の経営には、業績よりもはるかに貴いものがあります。それは、上記のような経営理念であり、社会的信用であり、それは同時に根本的な企業戦略でもあり、さらには存在目的です。それに反した行動の結果は、成果ではあり得ません。


(阿世賀 陽一)