雇い・雇われること

1.労働に「従事」すること

 民法623条には「雇用とは当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる」とあります。あたりまえのことのようですが、これは同法632条(請負)の「当事者の一方がある仕事を完成することを約し、相手方がその仕事の結果に対してその報酬を支払う」と比較して見ると深い意義を感じさせるものです。
 請負が仕事の「完成」とその「結果」に支払うものであることに対して、雇用は「働くこと」を約束し、「働いたこと自体」への対価なので、労働時間の概念を捨象することはできず、「生産性が鍵になる」と言うことは、以前申しました。  「時間は分母に入れる」参照

 今回のテーマは「従事する」と言うことです。民法は対等原則ですから主・客共に「当事者」です。そこに「従」と言う言葉が出てきます。従業員は(私は会社に働く者の主体性を願う意味で「社員」と呼びたいのですが)会社に入ったら社長をはじめ、社長から指揮命令権を委譲された上長の言うことに「従って」働かなければなりません。民法にそう書いてあるからではありません。世の中は法律やルールが先にあるのではなく、人間の営為が先にあるものなので「雇い」「雇われる」ことは、元々そのようなことです。
 労働基準法では、この「当事者」が「労働者」と「事業主」と「事業主のために行為をする使用者」にわかれます。
 この3月から施行されている労働契約法第2条には
「労働者とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう」
「使用者とは、その使用する労働者に対して賃金を支払う者をいう」と合わせ鏡のようにとてもスッキリと定義されています。
(ここでの「使用者」は契約の主体なので、労働基準法の「事業主」とほぼ一致します)
 それは、いわゆる「使用従属関係」と言うものです。

2.労働契約法について

 話しは飛んで・・・・、
 労働契約法については当初、「これはYOUに支払う最後のマネーだ」と言うような解雇金銭解決制度(労働基準法のような30日分で済むわけではありません)や「YOUの年俸についてだが、来年は○○万円でどうかね(決裂と言うなら、残念だがワレワレは・・・・)」と言う雇用継続型契約変更制度、エグゼンプトは時間労働の適用除外(確かに年収1,000万円以上もらっていて残業未払いなんて言うのは「ホワイ?」だわね)と言うような、今の日本に良くある方向であるドライことも可になるのではと言われていましたが、昨年の11月、意外に早く決まったと思ったら、内容はこれまでの労働判例を法文化したものが中心でした。
 「どこが変わったの?」と思う方や専門家からの法理上の様々な批判もありますが、法律や判例が、人間が社会を営んでいく上でのコモンセンスの積み重ねであるならば、それは今回、新しい法律にまとまり、周知されることは良いことと思います。そして運用されるなかで、時代状況に応じ、また解釈と判例と変更が積み重なっていくことでしょう。
 少なくともこれまで明確な根拠条文も無いまま、「付随義務」とか「債務不履行」とか難しい法理や判例でキッチリ確立していた「安全配慮義務」「解雇権濫用法理」などが規定されたことは、無用なトラブルを防止する上でも意義あることと思います。
 勝ち負けのある判例を法文化した点での労働契約法は、使用者「側」からも労働者「側」からも、なお不満や批判があることは当然のことでしょう。使用者と労働者が「労働力」と言う商品を「安く買いたい」「高く売りたい」と言う対立項でのみ捉えるならば、もともと、どちらにとっても満足がいくものにはなりえないものです。

3.従事することは卑下したものか
 
 使用者と労働者は、この世に二人だけゴロリと投げ出され向き合ったものではありません。また、たまたま生まれたり住んでいた地域の住民が「民主的」に首長を選ばなければならないものでもありません。
 「この指止まれ」と募集して、応募して、採用される時点では、労働契約法第3条にあるように「労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきもの」です。
 もともと労使対等のわけがありません。対等でないからこそ、労働者に不利にならないように、人を枯らして国を枯らさないように、労働基準法や労働組合法のような労働者保護法規があり、労働契約法第1条にも「労働者の保護を図りつつ、個別の労働関係の安定に資することを目的とする」と規定されています。
 「対等で、なおかつ保護して!」
 なんてのは、惚れてしまった怖い配偶者のみが言えることです。

 さて「従事する」と言うことは、労働者を卑下することでしょうか?
子供が先生に逆らって学力が増すものではありません。
弟子が師匠に逆らって上達するものでもありません。
社員が会社に逆らって成長するものでは、決してありません。
 (嫌なら独立してみると良い。それは決して楽なことではありません。それだけではなく、やがて「所属と愛の欲求」に餓えることになるでしょう)
 もちろん上に立つ者の「動機」「目的」「手段」に不純なものがあると、それを「濫用」と言います。 
 それよりも「従事する」から、社員が会社の外に出て顧客を満足させるとその報酬と共に上手くいったノウハウをもって帰ってきます。
 請負=外注さんに頼んで上手くいったそれは外注さんのものです。
 「良くやった」と評価して、あらためてそのノウハウを自分のものとして本人は成長します。その会社に蓄積されたノウハウを修得して、他の社員も育成されます。
 そうして会社は、発展するのです。

(阿世賀 陽一)