北京オリンピックを見て

 オリンピックを、やはり今回も熱心に見てしまいました。
 アテネのように深夜時間帯ではなかったので、(フテ寝してしまった女子バレーを除き・・・・4年前より強かったのに、絶望的なケガからの復帰以来そのあまり笑わない健気さにすっかり栗原恵のファンになっていたのに・・・・しかし、相手があることですから、それ以上に研究されていたということでしょう)ライブで見られるものは見て、日中、仕事で見られないものはニュースやワイドショーでという健康的な観戦となりました。

1.私は漢族
 開会式の花火や歌がCGや別人の口パク偽装だったというのは「らしい」の典型です。歴史とは事実ではなく書かれたものであるという史記以来の2000年を超える伝統。現代史の写真からは、共産党の最高指導者の隣にいた幹部がしだいに修正されて消えていきます。
 開会式の総監督がテレビに出てきて「表現である」と堂々と語っていました。少数民族の衣装をつけた子供達の大半が漢民族の子弟だったというのも
「各民族が協力しあって家族のように国を形成していることの表現である」というようなことを話していました。
  しかし、当の少数民族は、アレを見てソレを聞かされ、どう思うか?
 
 以前、母・叔母・女房とで中国を旅行したときの、若くて美人なガイドさん・・・・。
「これが、○○市に住んでいる人達の姓の一覧表です。このように・・・・中国では漢族と少数民族が、仲良く暮らしています」
「へえー・・・・では、この名前からすると、○さんも少数民族なんですね」
「私は漢族です!」間髪入れずキッと睨む。
(アワワ・・・・・・ダミだ、こりゃ)
 性格が良く、親切で、友好的で、美人のガイドさんでしたが、その一瞬の視座と視点から言えば倭国の日本の人である私は、中華から見た四夷(東夷・西戎・南蛮・北狄)の一番目です。 
 そのような視座と視点は、日本社会においても、企業内においても、トラブルの元です。

2.メダルの再現性 
 アテネの時にメダルを取った選手が今回も活躍しました。4年前にブスッとしていた上野雅恵は、今回とても爽やかな笑顔で両親に感謝していました。
 単に果を結ぶ「結果」ではなく、果が成る「成果」には、時間性(プロセス)が含まれます。だから成果には再現性があり、会社も社員も競技種目もチームも選手も、明日も明後日も来年も再来年も続いていきます。
 ただし、オリンピックのような一世一代の最高の舞台で、一個人の身の上にメダルを再現させることは、大変なことであろうと思います。
 誰もが4年間のなかで、ケガあり、スランプあり、そしてモチベーション(やる気)の維持に悩んできたと解説されていました。柔道などは、競技そのものが変化していました。100`級の鈴木桂治はそれに敗れ、100`超級の石井慧はそれに勝ちました。一本かポイントかのスタイルに苦悩し、しかし決勝では会心の投げで、空中で、すでに勝利を確信しドコスの脳天を配慮しながら最高の笑顔を見せていた谷本歩美は、その瞬間、勝利以上の勝利を勝ち得ていたのでしょう。
 北島康介の、100b準決勝後のインタビュー中に、その次の試合を終えたダーレオーエンの記録を見て「明日は世界記録ですね」と話し、翌日、決勝直前の集中してつりあがった目には鬼気迫るものがありました。平井伯昌コーチの「勇気を持ってゆっくり泳げ」は凄い言葉ですが、それを実行できた選手は達人の域です。その「泳いだ感覚は全然覚えていない」ものの「完璧。理想の泳ぎだった」と言う、時間にして58秒91は、自己実現とはかくたるものかと思わせるものでした
 北島は勝って(それは「成績」というものです)「一応、ガッツポーズをして(本人談)」、記録を見て(それが本当の「業績」というものです)もう一度右拳を突き上げました。自己と他己に二重に勝利した後のインタビューは「チョー気持ちいい」ではなく、どん底からの4年間に声を詰まらせた「何も言えねぇ」でした。成果の成は、成長の成です。

3.エースの矜持
 感動の涙ならばソフトボール。
 テレビ解説をしていた宇津木妙子元監督の号泣には、どれほどの時間の思いが込められていたことか。思い出しただけでもらい泣き。
 1日で21イニング3試合分投げて、その翌日さらに先発して、完投勝利した上野由岐子投手には、「エースとは何か」を考えさせられました。110`以上の速球は投げられなくなっても、人差し指の皮がすでに剥がれていても(これが「巨人の星」であれば「さあ、来たまえ!星くーん」とか言われて、血染めのボールを全力投球して、サヨナラホームランされて、夕陽が照り返す甲子園のマウンド上で、ライバル同志一対一で、涙涙・・・・でしょうが、ブストスへの敬遠も見事。チームによる勝利を目指すのだから当然。翌日、ブストスが「8年後のオリンピックで、今度はライバル上野と監督同志で」と話す新聞記事を見て、一流選手は人としても優れた人であるとリスペクトしました)、その役割を果たすための、勝つための集中力は、「感動」のA評価を超える、誰の「記憶」にも残るS評価です。

 新聞のテレビ番組「北京オリンピック閉会式」の欄に、ジミー・ペイジという名前を見つけ「なんと!レッド・ツェッペリンは、イギリスがベッカムと並べて世界に誇るものであるのか」「であれば、4年後の開会式はポール・マッカートニー以外ありえないではないか」
「何を弾くのだろうか、やはり『天国の階段』で北京オリンピックを昇天させるのか」
「『移民の歌』だったらシャレにならんわな」
などと思いながらワクワクして見ていると、『胸いっぱいの愛』でした。


(阿世賀 陽一)