未来に向けた変革と理念に帰ること

1.変と変革
 昨年、2008年の末、その年の世相を一字で表す漢字には「変」が選ばれました。
「変な事件がたくさん起きた変な年だった・・・」と言う感想もあります。
 でも、「明日という字は、明るい日と書くのね(アン真理子)」の精神で、現在を前向きに、変化・変革と捉えてまいりたいと思います。
 さらに言えば、「前向きとは、前(未来)に向くことよ」です。
 しかも、「産業構造は、常に変化するものである。それは脅威であるとともに、機会である。(ピーター・ドラッカー)」です。

 昨秋、アメリカに端を発した世界的な大不況は100年に一度の危機と言われています。それは肌で実感するほどに実体経済を覆い、私たちの日常にまで暗い影を落としています。
 社会経済のバロメーターの一つである09春闘の予測についても、生計費の上昇をはるかに上まわるマイナス成長率から・・・・今年は、とても数字になりません。
 アメリカの新しい大統領は、選挙中、こう言っていました。
 「We Can Blieve in Change!」(・・・カッコいいですね) 
変化に耐え、変わらぬ光を目指していくためには、変わらなくてはなりません。

 ところで、つい先頃まで、グローバル・スタンダードたるアメリカに盲従していくことが「改革」であるように喧伝されていたものですが(それは政府や経営者に限ったことではありません。働く方も。人はみな幻想を背負うです)、そのアメリカにこそ「変革」が必要であったとは、どういうことでしょうか?

2.日本的協働
 アメリカが偉大な国であったのは、グローバル・スタンダードを謳歌していた先頃よりも、ソビエト社会主義共和国連邦が存在していた頃であったと思います。
 ケネディとかアポロとか・・・・あの時代。
 その良し悪しとは別に、その頃は、別の存在、別の考え方があることを認めざる得ない時代です。
 その頃、アメリカでは「いかに人をして、有効に働かせることができるか」という行動科学の研究が進んでいました。おそらくはソ連への対抗上のことと思います。そのなかで「人間は機械のようにはならない」という一つの結論があります。人間関係とか社会的能力とか熱意・意欲、そして組織開発が必要だということです。当たり前のようですが、その当たり前を上手くやることはなかなかできないことです。
 そして、上手くいったのは、日本でした。
 ZD(無欠点)運動や「安全第一」、QC(品質管理)−栄えある生産性向上運動、そして目標管理に到るまで、アメリカ発の輸入加工で、日本の十八番になりました。
 それは、日本には土台として「協働」という共有できる価値観があったからと言われています。

3.無責任と責任
 オバマは就任演説で、アメリカが危機のただ中にあることは、新しい時代を準備してこなかった以前の問題として「強欲と無責任(irresponsponsibility)の代償」と話していました。
 強欲と無責任、それはハゲタカ成果主義をイメージするだけではなく「洋の東西」「昔風の左・右」「お上と下々」など、どこにでも当てはまることです。
 日本的集団主義も、前に向くときはプロジェクトXのような感動・涙・また涙の「大いなる貢献」と「成果」を生みますが、一度マイナスを向くと貧すれば鈍す。
「みんなでやっちゃったことだから、俺だけのせいじゃねぇや」と責任の所在を曖昧にし、
「二度とこのようなことが(他動詞→)起こらないよう、再発防止に努めて参りたいと思います」と頬被りしたまま頭だけ下げることになります。「本気で謝ったらお終いだ」といわんばかり。
 責任をどう引きうけるか、前に向いているか後ろに引いているかで、天道さんと(仕事ができない)番頭さんの違い。
 新聞のオバマ就任演説の表題は、
「新しい責任の時代(new era of responsibility)」でした。
 アカンタビリティー(成果責任)が出口とすれば、レスポンスビリティー(義務責任)は入口です。
 それらをどのように造りあげていくか?

4.理念に帰る
 旅人が夜の荒野を歩むとき、仰ぐべきものは星です。その星とは何か?
 オバマは、就任前に「この困難な時期こそ『建国の理念』に帰って・・」、就任演説では「『祖先の理想』に忠実で・・・」と話していました。
 人は、「○○に帰る」という言い方で、螺旋階段を昇るように、前人未踏の新しい時代や思想に踏み出すということをよくします。
 テレビを見ながら
 建国・・・・小学生の頃、「(紀元節でなく)日本に『建国記念の日』があるとしたら、それは敗戦の日=8月15日だ」と、ロシア民謡(=労働歌)が好きな先生が授業で話していました。でも、それはあんまりでしょう。先生が言いたかったことはわかるけど。
 理念・・・・「(まるで企業の創業のように)『理念に帰る』などという言葉をだせるとは、若い国というよりも、やはり人工的で、観念的な国なのだなぁ」と思いながら・・・・
「はて、(中国ほど古くはない、しかしアメリカよりも遙かに古い)日本で、それに相応するようなことがあるだろうか?」と考え・・・・すぐに日本書紀の一節が頭に浮かびました。
第1条「和を以て貴しと為す」 

(阿世賀 陽一)