哀悼 三沢光

1.三沢光晴を惜しむ

 平成21年6月14日の朝刊を読んでいて驚きました。プロレスラー三沢光晴が試合中の事故で亡くなったという記事です。その経歴について2代目タイガーマスクと紹介する報道も多くありましたが、そのようなレベルの選手ではありません。国内の各他団体がテンカウントを鳴らしただけではなく、世界各地で「日本のレスリング・レジェンド」の死を悼む報道、セレモニー、メッセージの発信があったそうです。
 確かに、ネット等で「あの・・・」ような試合を見たならば、国やスタイルを超えて熱狂的なファンになる人は多いことでしょう。
 入場時の(観客からの)悲壮なまでの(今日も見たい!もっと凄いのを見たい!)「期待」の「ミ!サ!ワ!」コール。試合が終了し、(たいていは、相手共々ノビています)その直後から続く「満足」と「感動」の「ミ!サ!ワ!」コール。
 三沢光晴をトップレスラーとして活かしたものは、そして死に至らしめたものは、あの大「ミ!サ!ワ!」コールであったと思います。私も自宅でDVD等を見ながら、そのような(さすがに実際に声には出しませんが)コールをしていた一人です。

2.マスクを脱いで変身
 
 素顔になった後の試合で、パワーボムをウラカン・ラナ(空中で相手の首を両足で挟み、そのまま真後ろにエビぞって!相手を前方に投げ、馬乗りになりフォールする)で返すのを見たとき、「ただ者ではない!」と思いました。
 会社が存亡の危機にあった時、エースになるために、彼の場合はマスクを脱いで変身したのです。
 そのスタイルは、天才的な「受け身」技術を駆使して、相手の技を逃げないで受け止め、激しく応酬する、まさに「王道」でした。そのようなスタイルを勝負としてウソっぽいと嫌う人はいると思いますが、私には「どちらが勝つか」という結果を煽るほうがウソっぽく見えます。私は子供の頃、小林旭と宍戸錠が互いのパンチを避けないで殴り合い「やるじゃねえか!」「お前もな!」と言うお約束のシーンに感動して以来、そのようなスタイルを「かっこいいもの」として受けとめます。喩えは飛びますが、エリック・クラプトンとジャック・ブルースの合奏を思わせます。そういえばアレもアンサンブルではなくバトルと言われていました。
 その後、(やる気をだせば)史上最強との声もあったジャンボ鶴田が病気であっさり第一線を引くと、互いに信頼できる「受け身」をベースに「そこまでやるか?」と思うほど過激に攻め合う四天王プロレスの時代が始まります。それは、マイク・パフォーマンスによるストーリー作りと勝ち負けの結果にこだわるライバル団体にはないスタイルです。すでに「ご隠居プロレス」をしていた師匠の馬場は、放送席で泣いたこともあるそうです。三沢は最後まで「ご隠居プロレス」はできませんでした(あの「ミ!サ!ワ!」コールをされたら・・・・)。そのスタイルは、馬場が亡くなった後に三沢が設立した新会社にも受け継がれます。

3.普通のバックドロップで 

  三沢の事故死に驚き、考えさせられたのは、彼には「世界一受け身が上手いレスラー」という評価があったからです。三沢が亡くなった直接の原因は、相手選手にバックドロップで投げられたことと書いてありました。小橋建太のバーニング・ハンマーや三沢自身のタイガードライバー91のような、受け身の取りようのない「真っ逆様もの」でも、よく選手権試合で三沢がしたりされたりする「断崖もの(エプロンや花道から下の床に向けて技をかける)」でもありません。強力なバックドロップというならば、あるいは相手は、鶴田のその技をさらに3まわりほど大きくした森嶋猛ではあるまいかとも思いましたが、スポーツ新聞を読むと、そうではありませんでした。次世代エース候補の「若手イケメン」レスラーと組み、タッグ王座に挑戦した試合でした。プロレス誌追悼号の写真を見る限りでは、普通のバックドロップで、三沢は両肩で受け身を取っていました。やはり三沢の首は、誰に投げられても切れるところまでいっていたのでしょう。年内引退を決めていたという証言もあります。

4.俺が出ないと・・・・

  三沢は、馬場が亡くなって以来、そしてその会社から「社員を食わせるために」独立した以後も一貫して社長レスラーでした。新会社では、全ての社員に定期健康診断を義務付け、業界としては画期的なことと評価されていました。後にこの健康診断で絶対王者と言われた小橋建太の腎臓癌が早期発見されています。それは「幸」でしたが、小橋が闘病している間に、「不幸」にも、すでに満身創痍の三沢は、チャンピオンに復帰せざるを得ませんでした。2年ほど前に、動きが悪くなったことに気づいた友人に「このまま現役を続けるのか」と問われて、答えます。
「俺が出ないとお客がこない。会社が潰れてしまう」(日刊スポーツより)

 三沢が独立したとき、8割以上の人材がついてきました。他団体出身者からの参戦もあり、それは最初から新興団体などではなく、誰がヘビー級チャンピオンになってもおかしくないレスラーが5〜6人はいました。他の団体が一時的な業績をあげるために「総合格闘技との悲惨な交流」とか「お笑いギミック/オチャラケ・フェイク」の暗黒を繰り返す中で、真の盟主とまで評価されていました。
 しかし、ツブのそろった人材は同時に、少なくともヘビー級では、世代交代を遅らせました。おそらくは人件費的にも厳しく、社員構成としても下位等級者は少なかったのではないかと思います。最近の試合カードを見るとタッグ試合が異常に多く、明らかに人員オーバーで、それは選手として魅力を発揮してもらう上でもマイナスです。
 業界全体の低迷で、3月には力道山や馬場から受け継いできた日本テレビの地上波放送がうち切られました。それは億単位の収入減を意味し、社長三沢にとって、相当キツイことだったろうと思います。 
 最後の(いまさらの)タッグ選手権「挑戦」は、パートナーの「若手イケメン」を昇格させるためでした。
 一歩、いや半歩遅かった。 

(日本時間の26日には、マイケル・ジャクソンが亡くなったというニュースが入りました。50回の公演計画とは・・・・、とても生きていけるものではありません)     

合掌。

(阿世賀 陽一)