甘い上司

1.評価エラー

 賞与の季節が近づくと、人事・賃金制度のコンサルティングをお請けしていた顧問先様から、その評価者調整会議に招かれることがあります。
 人事・賃金制度を導入して初期の頃は、第1次評価者である上司の評価は、評価エラーである「寛大化傾向」「中央集中化傾向」になりがちです。
 評語は一般的なS・A・B・C・Dとして
@安易に「寛大化傾向(みんな頑張ったから・・・とB+やAに)」になる人は、「甘い上司」ということです。
A安易に「中央集中化(平等にしておけば文句はないだろうとみんなBに)」させる人は、結果的に「評価をやっていないのと同じ」イコール「部下を見ていないのと同じ」ということで、管理職失格です。
B安易に(たまにしか見かけませんが)「自己対比誤差(オレの若い時に比べればみんなCだ!)」
[↑その話し・・・・バブルの頃のことじゃないですか?]
などで、部下におしなべて厳しい評価をしてしまう人は、指導力がない人です。

「・・・・では、どうすれば良いのですか!」
「安易にではなく、真摯にやってください」

2.部下に恨まれたくない上司

 なかでも、この「甘い上司」とは、どのような構造をもっているのでしょうか?
 なかには、
「評価エラーとなることはわかっているのですが、評価する際に、部下に恨まれたくないという気持ちが働いてしまい、どうしても甘くしてしまったり、B以下の評価をつけることをためらってしまいます」
と悩みをうち明ける人もいます。
 そのような悩み・弱音は、少なくとも社長の前では吐露しないことをお勧めしますが、経験上、そのようにして部下に尊敬された上司は、一人もいたためしがありません。
 「恨まれたくない」と願い、そのあげく「軽蔑される」とは、これも人間らしい「反対行動」というべきか。 

3.評価とは何か

 賃金とは、「労働の価値」である・・・・とても、アリガタイものです。
 価値がないのにいっぱいもらっている人や仕事をサボってまっとうにもらおうとする人を「賃金泥ボー」とは言いません。そういう人は「給料泥ボー」です。

 人事評価とは、社員の「その期になしえた労働の価値」を定める尊いおこないです。
 「なすべき仕事を考え」「やらせて」「見て」「指導して」「評価して」「さて次期はどうしようか」という人事考課(それもP→D→C→A→であるマネジメント・サイクル)の結節点です。
 そして「評価に値するか・しないか」ということは、その仕事が組織(上司)の「期待にどれだけ応えたか」ということです。
 B評価とは、(評語の真ん中として)その期待に対し、組織(上司)として「満足した」という評価です。「あと一歩」は、あきらかに「不足した」ということです。

4.2つの期待

 話は一見跳びますが、民法第623条では
「雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる」
とされています。
 「従事することを約する」から会社(使用者)は、社員に指揮命令権を有します。社員は会社に誠実勤務義務を有します。
 そして第632条(請負)が
「請負は、当事者の一方がある仕事を完成することを約し、相手方がその仕事の結果に対してその報酬を支払うことを約することによって、その効力を生ずる」
とされていることと対比して、雇用のキーワードである「従事すること」には、成果にいたるプロセスが存することになります。
 それは会社の発展と本人の成長の鍵です。
 組織(上司)の期待には「成果」と「成果を生み出すプロセス」という2つの領域があることになります。
 プロセスなんぞどうでも良いものであるならば
「シールを貼りかえて、効率を○%アップさせた」
「別の動物の肉やパンくず等を混ぜて、原料食材費を軽減し、○○円の利益をあげた」
など、コンプライアンスやCSRの問題だけではなく、会社の経営計画も社員各自の「工夫・改善・努力」も、そして成果の再現性もないことになります。

 評価が甘い上司とは、優しいのではなく、部下への期待が低い人ということです(だから尊敬はされません)。それは、自分が責任をもつ部門のレベルを低いままにしておく人です。


(阿世賀 陽一)