「私」が感動したこと

1.ヒッチハイクで高校受験

 2月10日から12日の新聞・テレビに「ヒッチハイクで高校に合格」という話題が報道されました。
以下概略。

 埼玉県に住む中学3年生の女子生徒は、航空自衛隊のパイロットを志望して、翌日実施される日本航空石川高校の推薦入試を受験するために、1月16日母と石川県輪島市に向かった。
 夜の11時半。JR長岡駅の静かなホームで二人は、茫然と立ちすくむ。
 乗り換える予定だった信越本線の夜行列車は、豪雪で運休になっていた。

 「夢は終わった」と泣く娘に、当初その高校の受験に反対していた母は
 「絶対あきらめない」とたしなめ、駅を出てヒッチハイクで行こうと決めた。

 母子は、真夜中の吹雪の中を、車が通りかかるたびに傘を振り回しながら歩き続けた。
 午前4時半、ガソリンスタンドに1台だけ大型トラックが止まっていた。
 運転手に駆け寄って頼むと
「・・・・金沢までなら」と乗せてくれた。

 北陸自動車道を走行中、詳しい事情を聞いたガッシリとした体格の、その寡黙な運転手は
「俺にも、同じ中3の娘がいるから、気持ちは・・・・わかる・・・・」と話した。

 夜がしらみかけ、金沢が近づいたとき、運転手は急にハンドルを能登半島方面に切った。
 「よし!輪島まで行っちゃる」
 トラックは、先行車を次々に追い抜いていった。

 高校の正門から中に大型トラックが入っていく。驚く教職員。
 そしてトラックから、中学校の制服を着た女子生徒が降りて、校舎に向かって走っていく。
 それは試験開始10分前であった。

(映画みたいな話し。主役は?無精ひげを生やした・・・・もちろん高倉健。監督は山田洋次。)

 試験の作文の題は「私が感動したこと」。
 女子生徒は、昨夜からの母や運転手のことを、感謝の気持ちを込めて一気に書き上げた。

 運転手は、最後に
 「がんばれよ」と励まし、
 連絡先を尋ねる母や教職員に
 「たいしたことは、していないから・・・・」と言い残して、去って行ったという。
(・・・・ますます高倉健)

 作文を採点した高校の教員は感動したことでしょう。
 私も感動しました。

 合格通知を受けた女子生徒は、まず誰よりも親切にしてくれた運転手に感謝の報告をしたかったが、連絡先もわからない。
 「感謝の気持ちを周りの人に少しずつ返していきたい」と希望しているという。

2.「よし!・・・行っちゃる」の重み

 美談です。もしこの母子が金沢で降ろされていたら、その後、たとえ奇跡的に連続して親切な人が現れていたとしても、受験には間に合わなかったことでしょう。
 さてこそは、困った話し。
 この運転手が個人事業主ではなく運送会社の社員であったとしたなら、その善意は、自分の時間と労力によるものではありません。
 その劇的な「よし!輪島まで行っちゃる」という言葉が感動的なのは、

(1)業務外行動−職務専念義務違反
(2)車両管理規程にある目的外使用事項等違反
(3)金沢−輪島往復の労働時間・ガソリンの資源流用

といった規則違反に対しての「懲戒処分を覚悟して、なお」という重みがあるからです。
 さらに

・荷先の納品時間が厳格であったら
・積み荷が鮮度を問われる食品であったら

といった様々なリスクも考えられます。

 メディアは「東北から神戸まで」という経路、「ヨコヤマ」という名前まで報道してしまったので、社内ではバレバレでしょう。報道がなかったとしても熟練した運行管理者ならばタコグラフをトランプのようにめくるだけで、予定外運行はわかるものです。

3.どうしたものか?
 
 個人として「良いこと」であったとしても、どこでも誰に対しても「良いこと」ではありません。
 例えば、1日に3件こなさなければ自分の給料分が稼げない訪問介護職員が
 「1日世話してあげたらおばあちゃんがとても喜んでくれました」と嬉々として帰ってきたら、施設経営者・同僚・その他の利用者から、大きな怒りを買うでしょう。
 「君は、ボランティア(労働者に非ず)になりたまえ」です。 

 でも、個人としてだけではなく、社会的に賞賛されるような「良いこと」ならばどうでしょう?ホームから線路に落ちた人を助けたとか・・・・。

 会社の秩序と統制を維持するためには、罪と刑を定めた通りに実施する「罪刑法定主義」が原則です。そして同一事由における者の処分は、過去の他の者の処分例との均衡を維持する「平等取扱いの原則」を守らないと、以後その懲戒事由が無効になる虞があります。
 一方、「生産」と「消費」の間で(道路は造っても)何かと政策的に後回しにされたり、謂われなき悪者にされることさえある「業界」と「職種」には、感動とともに暖かいイメージをもって貢献してくれました。会社への直接の貢献ではありませんが。

 諸葛亮孔明は、泣いて馬謖を斬りました。

 源頼朝は、刺客を送って、さらに執拗に、奥州の果てまで追いつめる。息子の代で滅亡。
 足利尊氏は、「まあ、よかろうよ」として、後々天下はゴッチャゴチャ。でも最終勝利者。
 織田信長は、忘れた頃に処分を下し(それは酷薄)、畏れられ、後に別の部下に殺されました。

 最高指揮者は、価値観を表現した就業規則を基に、さらによく考えて、「判断」しなければなりません。

 映画ならば、ラストはこうなるでしょう。
(会社のルールの意義も人情も、本人を含め社員全員が、よくよく「わかっている」会社であったとして・・・・。そんな会社あるのか?だから、あくまでも「映画ならば」です。)

 「社長。このたびのことは・・・・、申し訳ありませんでした」−高倉健
 「私は・・・・聞いとらんよ。君のことは。(報告は受けているけど)
 今後も、私の耳には入らんだろう・・・・。以上。そういうことだ。
 だけど君・・・・いいことをしたな」−三国連太郎 

(阿世賀 陽一)