贈与としての労働

1.宴会で手酌はやめましょう。
 忘年会・望年会・新年会の季節です。

<宴会物語−ビールの交換>
 会社の宴会で、初めて向き合う二人の膳に、それぞれ種類の違うビールがあったとします。
「あのう・・・・私、一度その辛口ビールというモノを飲んでみたかったのですが
 宜しかったら・・・・一杯だけ」
「実は、私もそのホップを3倍効かせたというモノが、どれほど美味しいものかと・・・・
ぜひ、私にも一杯」
 そうして二人は、互いのビールを一杯ずつ交換して、バラエティのある豊かな食事をしました、とさ。
 というストーリーは、小学生向け「わたしたちの社会」的な、机上の論理です。

<ド宴会物語−ビールの贈与と手酌の孤独>
 実際は、互いのビールが、いつも自宅で飲む普通のサッポロビールであったとしても
(しばしの沈黙の後)
「・・・・・・・・・・・・・・・・まっ・・・・とりあえず、一杯どうぞ!」
「やや!これはどうも(トク トク トク トク トク・・・・)おーっと と と・・・・グイ!・・・・ 
プハー いやー旨い。では、さ さ・・・・あなたも一杯」
「いやー、これは、これは・・・・」となります。
 それがアダルトな真実です。
 そのうち、2回目に注いだビールが、相手のコップに満たない量であることが判明すると
「あやや?・・・・これは失礼。ネエさん!ビール一本追加!」となります。
 それを
「・・・・意味  ないじゃん」とか
「虚礼という不合理は、排除すべきである!」と盛りあがっていく宴会の中で、一人チビチビと手酌で飲んでいる者は、だんだん温くなっていくビールが、さっぱり美味くないのに気づきます。
 彼は、自分が「何処で、何をしているのか」が、わからないのです。
(もちろん、「宴会」をしているのです)
 彼は、やがて(僕を熱くしてくれる)世界でただ一杯の「僕だけのビール」を探しに(社外に)旅立ちます。
 そんなものは、どこにもありません。

 人は何故、人と飲むときに、酒を相手に注ぐのか?
 西部劇等でウィスキーグラスをカウンターに、サーッと滑らせ・・・・
「そいつは、オレのオゴリだぜ」が、何故、格好いいのか?
(それにしても何故こぼれないのでしょうか?少なくても「水割り」ではないのでしょう)
 下手に理屈をつけるより、人間は、さほど合理的なものではなく、そういうものであり、その方が上手くいくと考えた方が良いと思います。
(一部、原作:レヴィ=ストロース『親族の基本構造』ワインの話し)

2.贈与と反対給付−売買ではなく

  人間は、ほんとうに自分が欲しいものは
                        他者から与えられることでしか手に入れることはできない。

(レヴィ=ストロース)

 賃金は労働の対価です。その労働について、労働契約に「定められたことのみをする労働」やそのつど「言われたことをやる労働」と長期の労働契約を旨としている社員に「期待されている労働」は、同じではありません。
 「労働と賃金の等価交換」を超える労働は「損得のバランス上、損である」と捉え、労力の最小化に努める者は、やがて貧困スパイラルに陥っていくことになるでしょう。
 等価交換で同時決済を続けるままでは、与えられる仕事と提供する労働の価値は向上しようもなく、対価たる賃金は、時間とともに生計費カーブの下を潜っていくからです。
 社員として期待される労働には、(時間性を持って)職業人として成長を遂げながら、ゴーイングコンサーンを旨とした企業の経営計画に基づき、企業全体のために、かつ長期にわたる貢献が求められます。  
 B評価に値する労働とは、現状等級レベルに対する期待を満足させる立派なものですが、いつまでもそれだけでは、(範囲の幅はあるものの)やはり「労働と賃金の等価交換」です。
では、A評価とは何か?
 現状期待レベルに対する「過剰達成」です。

 もちろんこれは、賃金と労働を債権・債務と捉える考え方とは別のことです。
 そして、その場に極端な搾取や差別がないことを前提とするならば、次のように言えると思います。

 「良い働き」をするということは、顧客と組織と社会(そして自分自身)に、贈り物をすることである。
 それに対する処遇(賞与・昇給・昇格・昇進)は、(時間性を持った)組織からの反対給付である。

 ピーター・フェルディナンド・ドラッカーは、「汝の額に汗して糧を得よ」(労苦)は、「神からの罰であるとともに、楽園を追われた日々を耐えられるものとし、意味あるものとするための神からの贈り物、祝福でもあった」と感動的な言葉を残しています。(「現代の経営」−人を雇うこと)
 「意味あるものとする」ということは、「贈与としての労働」をすることです。
 個人と組織の間にも、ギブ&テイクではなくギブ&ギブンであってこそ、双方の間に発展関係が、そして当然双方にも、発展が生まれます。
 人間は、そのほうが楽しく、幸せに感じるようにできていると考えられます。

 例えば、3等級の者は、その期待レベルを超えた4等級に相当する「働き」を組織へ贈与して、その反対給付として組織から4等級に処遇され成長していきます。それが昇格の「入学方式」であり、昇格のコツです。
 それに対して、3等級レベルを全うしている者にチャレンジ課題を与えることや、4等級に昇格させて育成する「卒業方式」は、組織からの贈与です。

 そして、組織が変革を遂げながら存続し、成果あげていくには、反対給付をする世代をずらしながら、人材育成と自己成長による「贈与の連鎖」(継承)を続けていかなければなりません。

(阿世賀 陽一)