現場の品格

 東日本大震災で被災された方々、今もなお困難な状況にある方々に、心よりお見舞い申し上げます。

1.威厳・品格・・・・

 被害についても、救済についても、復興についても、原発事故等についても、日本の社会・経済の、そして日本国の内側にいる者として、激流は未だ止むことはなく、何を語る状況にもありません。 
 そのなかで(外側の)外国の人々の声には、驚きとともに、考えさせられるものがありました。
 「心はひとつ」という世界中からの励ましや善意の行動。
 「これまで世話になった」という言葉とともに贈られるモノ。
 そのような返礼としての贈与は、贈与の連鎖が可能であると信じることができる、希望に満ちた贈りものです。そして
 「(暴動も略奪もなく)/秩序をもって/威厳のある/文化的な/敬意と品格に基づき」といった言葉で、被災した方々の落ち着いた態度を賞賛する声には
 「ああ、そうであったか」という思いです。
 3月16日午後の(出張で関東から西に遠く離れた駅のホームで、携帯サイトを見て、その全文を拝読しました)天皇陛下の「お言葉」にも、このことに、触れておられました。
 そのように、ありたいと思いました。

2.「SAMURAI」

 テレビを見ていると、福島第1原発で決死の作業をしている人達を、アメリカ・フランス・イギリスなどのメディアが英雄として賞賛していると報じていました。
 画面に映った新聞の大見出しには、はっきりと
 「SAMURAI!」と読めました。
 ・・・・ジーンとしながら、欧米の人達がこの言葉でイメージしているものは何だろう?と考えました。
 「侍」「武士」について、自国の知識で考えると、平清盛から土方歳三まで、歴史的にも階層的にも意味が広く、そこに込められた「敬意」は、かえって理解できなくなります。
 新渡戸稲造の『武士道』、黒澤明の『七人の侍』、渡辺謙の『ラストサムライ』・・・と、そのイメージに私が仮託して一番近いものは、英語・フランス語・フィンランド語などに訳され、多くの国で出版されている世界的なベストセラー本、英題『SAMURAI!』です。
 日本では『坂井三郎空戦記録』または『大空のサムライ』です。

 (著者にとって)「旧敵国の人たち」に、感動と敬意をもって読み継がれてきたそれは
死を恐れず、しかし死そのものを目的とすることなく(実際、「特攻」からは途中での空中戦と悪天候のために、敵艦に至れないと判断し、部下と共に帰還)、生きて、生き抜いた、零戦パイロット(下士官)の自伝です。
 今日も、原発「フクシマ」の現場では、安全衛生分野の決まり言葉である
 「ご安全に!」を唱和して、出撃しているのでしょう。

3.絶対と万全

 政府をはじめ、関係にあるあらゆる方は、尽力されていることと思います。が、テレビや新聞で見聞きする中で、自分は、そのような考え方にならないよう、気をつけたいと思うことがあります。 

@「絶対○○」→「想定外」
 昔、原発を見学したとき、入り口から炉心の上の場所まで、何度も「絶対○○です」と説明されました。実に緻密に対策されていると思いました。しかし、そのような言い方自体は、相当に危険なことです。
「人間の身体は、ほとんど水でできている」というように
「人間の意識は、ほとんど言葉でできている」ので、同じ言葉を何度も繰り返すと、その言葉を共有する人達の中では、それが本当のことになっていきます。
(それを変化に前向きに、組織目標達成やセルフコントロールに活用するならば、たいへん結構なことです)
 例えば、すでに「絶対安全」なものに、それ以上の安全対策を加えることは、非効率・ムダ以外のなにものでもないでしょう。
 さらに自分が口にした言葉を否定することに繋がります。
 人間はそれを、自・他ともに嫌います。そこに変化に対応することへの抵抗が生じます。

A「万全を期するよう、指示をした!」
 そのような言葉が、責任ある人の口から表明されることがあります。
 無責任で、無意味な言葉です。
 「万全を期する」ことが「与えられた職責や自分がなすと決めた仕事を、手落ちなく全うするのだ!」という決意表明であるならば、意義あることですが、人に指示することではありません。  
 企業の経営者がステークホルダーに経営計画や経営リスク対策を聞かれたとき
「当社の○○部長には、万全を期するよう、指示をしてある!」と答えたとしたら
相手は、どのような企業評価をするでしょうか。

 文字の通りに読むと、なおさら不可思議な言葉です。

 「万全」に向けられた指示は、どの方向も「指し示し」ていないのです。

(阿世賀 陽一)