第1条−目的

1.虚偽の報告書

 永年政界に影響力を持たれてきた政治家が検察審査会の議決によって起訴された裁判の1審判決が4月26日にありました。
 「判決が不当か否か」「控訴が妥当か否か」という話ではありません。
 政局は?どうなる消費税!という話でもありません。

 裁判の過程で東京地検特捜部の検事による「事実と異なる捜査報告書」の作成があったことが発覚し、判決でも厳しく批判されました。
 「政治家とその秘書による政治資金収支報告書への虚偽記載にかかる事件」の起訴に至る過程で、「検事による捜査報告書の虚偽記載があった」とは、笑い話のようで、熱が出そうな話です。その理由として、担当検事が「記憶が混同した」と言うのもお笑い話のようで、高熱が出そうな話です。被疑者や被告がそのように弁明しても、彼らは決して許してくれないでしょう。

 2年前には、大阪地検特捜部が、やはり政治家をターゲットにし、「虚偽の公文書を作成して行使した容疑」で厚生労働省の女性局長を逮捕・起訴した事件が、一転、「担当検事による証拠のフロッピー改竄と上司の隠蔽事件」になりました。当初の弁明は「証拠で遊んでいた」ということになっていました。

 聖徳太子ならば「世間は虚仮なり」とツィッターなされたことでしょう。
 しかし、司法制度に問題?検察不信!という話ではありません。

2.検察官の意識、そして実態

 今年の4月の判決で、あらためてクローズアップ(日本経済新聞4.27)されたのが、大阪地検特捜部の不祥事を受け、法務省の「検察の在り方検討会議」が全国の検事を対象とした意識調査です。(アンケートには全検事1,444人中1,306人、90.4%が回答)
 おおむね、「さすがに自らの職分を理解し、誇りをもって仕事をしているのだなぁ」という一方、メンタルや不安も抱える「検事も人の子」という内容です。そのなかで

●「取調べについて、供述人の実際の供述とは異なる特定の方向での供述調書の作成を指示されたことがある」
 −26.1%(・・・・・・)。

●「日々の仕事の中で、検察官としての自己の判断より、組織や上司への忠誠が優勢になったことがある」
 −21.3%(検事は、原則として自己判断・独立性の高い1人官庁とも言える「独任制官庁」とされています)。

●「パワーハラスメントやセクシャルハラスメントと感じる行為を目撃したり聞いたり体験したりしたことがある」
 −44.4%(なさけない話ですね)。

●「任意性や特信性に問題が生じかねない取り調べであると感じる事例を周囲で見かけたり聞いたりすることがある」
 −27.7%。

●「自分が起訴し又は公判を担当した事件が無罪になると、自分のキャリアにとってマイナスの影響があると感じる」
 −30.8%。

3.成果とミッション

 大阪地検特捜部のエリート主任検事が証拠改竄で逮捕→起訴→有罪→服役したとき、「成果主義の弊害」と言う人がいました。
 上司に「(政治家を検挙できなければ、せめて局長の検挙が)君に与えられたミッションだからな!」と言われ、本人は「(局長の検挙が)最低限の使命であり、必ず達成しなければならないと感じた」と自白しています。
 ミッションとは、確かに「使命」や「任務」と訳されますが、世界の果てまでも!のキリスト教の伝道や国家の運命と自軍の生死をかけた軍事作戦などに使われることを考えると、もっと根本的で重いことであるでしょう。
 P・F・ドラッカーは、端的に「組織の存在理由や目的」と定義しています。

 弁護士法第1条は「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とあります。カッコいいですね。ドラマになります。ちなみに社会保険労務士法第1条には「事業の健全な発達と労働者等の福祉の向上に資する」とあります。ドラマにはならないでしょうが、けっこう気に入っています。
 検察官とは、刑事について公訴を行う者です。
 刑事訴訟法第1条には「刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし〜」とあります。これまたドラマです。

 目的のためには手段を選ばない−どころか、目的を見失って検挙率とか有罪率とかに拘泥するのは、ハゲタカよりももっと程度の低い、未熟な成果主義としか言いようがありません。

 成果とは、目的−ミッションの実現です。
 そしてミッションは、常に企業の「根本戦略」や(中長期か短期かを問わず)「目標」の、源泉になるものです。

 貴社の第1条には、何と書いてあるでしょうか?

 

(阿世賀 陽一)