[ 経営労務指導研究会の紹介 ]

代  表 : 阿世賀陽一(城西統括支部・新宿支部)
代  表 : 川村 昭  (城東統括支部・足立・荒川支部)
連 絡 先 : E-mail sumida@office-kawamura.jp(川村)
電話 : 03-3616-3422


活動内容


 社会保険労務士の専門分野である人事労務管理等を広く経営の視座から企業経営者に顧問指導ができるように、P・F・ドラッカーの諸著作、経営学、経営管理論、ヒューマン・リソース・マネジメント、財務諸表の読み方、労働判例などをテーマに、原則として、月に一度の研究会(平日14:00〜17:00)を開催し、会員の持ち回りで発表し合い、研究しています。
 研究会の場所は、東京都南部労政会館(品川区大崎1-11-1ゲートシティ大崎ウエストタワー2F)。
 年会費は6,000円です(年の途中で入会した場合は、月割にて徴収)。
入会は、随時受け付けております。初心者歓迎(1回目は「見学」としてもOK)です。上記E-mailアドレス宛て、ご連絡ください。


活動の例

「稲盛和夫『生き方』第2章 原理原則から考える」を読む


1.人生も経営も原理原則はシンプルがいい

 物事の本質は単純なものであり、複雑に見えるものをシンプルにとらえ直す。

分析思考力: (問題分析+原因追及+解決ステップ)複雑な問題や状況をシステマティックに分解し、原因と結果の連鎖を解き明かして、問題解決に結びつけている。

概念思考力: (洞察+問題の定義化+根本課題発見)複雑な問題や状況を整理し、重要な課題を見つけだして、アイディアをまとめ上げ、問題解決に結びつけている。

 分析思考力と概念思考力は、考えることについての往路と環路であり、実践に直接に結びつくものは概念思考力である。

 人生も経営もその根本の原理原則は同じ、シンプルなものである。

 会社経営においては、さまざまな間題への対策や解決策を、責任者が最終的に決定しなければならない。自分が知らない分野のことでも、決断をすみやかに下さなければならない。
 たとえそれが些細な問題であっても、判断をひとつ間違えれば、存続にかかわる。

 氏が行き着いたのは、「原理原則」ということであった。すなわち「人間として何が正しいのか」というきわめてシンプルなポイントに判断基準をおき、それに従って、正しいことを正しいままに貫いていこうと考えた。

 嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ・・・・
そのような人間を律する道徳や倫理を、経営の指針や判断基準にする。

 人間としてのプリミティブな規範、それは「戒」である。

<在家の受戒と在家得度(出家=僧侶になることではない)の違い>

 三帰戒:帰依仏、帰依法、帰依僧

 三聚浄戒
  (1)摂律儀戒:一切の悪不善を行うことなかれ。
  (2)摂善法戒:一切の福善を行うべし。
  (3)摂衆生戒:一切の衆生を救済利益すべし。

 十善戒(五戒)
  (1)不殺生戒:殺すなかれ。
  (2)不偸盗戒:盗むなかれ。
  (3)不邪淫戒:邪淫するなかれ。
  (4)不妄語戒:うそをつくなかれ。
  (5)不悪口戒:悪口を言うなかれ。
 以上、五戒

  (6)不両舌戒:仲たがいさせることを言うなかれ。
  (7)不綺語戒:飾った言葉、意味のない言葉、人におもねる言葉、を発するなかれ。
  (8)不貪欲戒:むさぼるなかれ。
  (9)不瞋恚戒:怒るなかれ。
  (10)不邪見戒:愚痴の心を持つなかれ。


 人生も経営も、同じ原理や原則に則して行われるべきで、それに従ったものであれば、大きな間違いをしなくてすむ。迷うことなく正々堂々と経営を行うことができる、それが成功につながっていく。


2.迷ったときの道しるべとなる「生きた哲学」

 正しい生き方へと導くシンプルな原理原則、それは経験と実践から生み出された「生きた哲学」である。
 それは、迷い、悩み、苦しみ、困ったときに、どの道を選び、どう行動すればいいのかという判断基準となる。

 生きることは、判断の集積であり、決断の連続である。
 指針なき選択は海図を持たない航海のようなものであり、哲学(人生観、倫理観、理念や道徳)不在の行動は灯火もなしに暗い夜道を進むようなもの。そのような生きる基軸は、迷ったときに立ち返るべき原点として機能する。

<エピソード>

 2000年秋、DDI(第二電電)と、国際通信最大手のKDD、トヨタ系列のIDOの三社の合併。 
 NTTドコモの独占状態を許せば、サービス向上や料金低下というメリットが利用者に十分にもたらされない恐れがある。
 「吸収合併」か「対等合併」か、過去における銀行の合併例などを見ても、互いに「対等」を主張し、いつまでも主導権争いが続くようなケースが多い。
氏は、新会社がスムーズに運営されるために、いちばん業績もよく、経営基盤もしっかりしているDDI主導の合併を提案した。
 事業の「原理原則」は、私益やメンツにあるのではなく、社会や人の役に立つことにある。
自分たちの利益ではなく他者の利益を第一義とする。それが経営の原理原則であり、成功への道である。

 ->それがミッション経営というものであろう。


3.世の風潮に惑わされず、原理原則を死守できるか

 原理原則に沿って生きることは、成功へと導き、人生に大きな実りをもたらす。
しかし、それは楽な道ではない。おのれを律し、縛っていくということであり、苦しみを伴うことが多い。ときには「損をする」こともある苦難の道を行くことでもある。

 ->例えば「非正規社員」については、搾取・収奪の問題を捨象できるものではないが、内側からは「損得に囚われた」等価交換意識の問題がある(例:親の肩を叩くのに「いくらくれる?」)。そこに成長はなく、貧困スパイラルに向かっていかざるを得ない。

 二つの道があって、迷ったときに、おのれの利益を離れ、困難に満ちた道であろうとも、「本来あるべき」道のほうを選択する。長い目で見れば、一時的に損をしたように見えても、かならず「利」となって戻ってくる。大きく道を誤ることもない。

<エピソード>

 バブル期に、当時、多くの企業がわれ先にと不動産の投機に血道を上げた。
京セラも、現預金を不動産投資に回さないかという誘いを受けていた。
氏は、原理原則から判断した。

 土地を右から左へ動かすだけで多大な利益が発生するなんて、そんなうまい話があるはずがない。あるとすれば、それはあぶく銭であり浮利にすぎない。簡単に手に入るお金は簡単に逃げていく。
 「額に汗して自分で稼いだお金だけが、ほんとうの利益なのだ」


4.知っているだけではダメ、貫いてこそ意味がある


 ただ、人間は弱い存在であり、自分を戒めていないと、欲望や誘惑に負けてしまう。 

<エピソード>

 京セラのある役員が定時に帰ろうとしたところ、総務の担当者が、その日、忙しくて車を必要としていたある営業部長にその車を回していた。
役員は「営業部長ごときが会社の車を使うとは何事か」と怒った。

 氏は、役員にこう言った。
「役員で偉いから車が使えるわけではない。重要な仕事に携わっている人間には移動手段をどうしようかなどと雑事に気を使わず、仕事に集中してもらうために社用車を用意してあるのだ。よく考えてくれ。定時で帰る役員に、忙しく走り回っている部長を怒鳴る資格があるのか?」
 役員に優先権があったとしても、それはあくまでも会社の車であって「自分の車」ではない。組織の中にあって高い地位にのぼると、その当たり前のことが見えなくなってくる。

 ->権力は腐敗するだけではない。人を愚かにする。

<エピソード>

 京セラの社有車は創業当時スクーターであった。スバル360を買うことができたとき、自分で運転していたのでは、運転中もずっと仕事のこと、会社のことばかり考えていて危ないので、運転手を雇うことにした。
 やがて、もっと大きな車に買い替え、運転手つきで会社への行き帰りを送迎してもらうこともできるようになった。
 ある朝、車で家に迎えにきてもらった際に、妻も所用で出かけるということがあった。
 氏は気軽に
「ついでだから途中まで乗っていけ」
「それはできません。あなたの車なら乗せてももらいますが、それは会社の車でしょう。『ついでだからといって社用車を私用で使ってはならない。公私のけじめは厳しくつけろ』それは、あなたが言った言葉です」
 何事も「言うは易く行うは難し」原理原則は、それを強い意志で貫かなくては意味がない。絶えず戒めていないと、つい忘れがちなもろいものでもある。
 だからこそ、自分の行いを自省自戒すること。また、そのことさえも生きる原理原則に組み入れていくことが大切である。


5.考え方のベクトルが人生すべての方向を決める

 真理や経験則、人間として守るべきシンプルな原理原則は、やさしい言葉で書かれた平凡なものであるが、その平凡さ、単純さというものは「普遍性」に通底している。

「人生の方程式」

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力 
・もっとも重要なのは「考え方」
・ポイントは掛け算

 熱意、「やる気」がなければ、何をしても成功しないのは、歴史が教えている。

 「考え方」がもっとも重要なのは、それがプラスとマイナス、および方向性も表しているからである。

<福沢諭吉の言葉>

 「思想の深遠なるは哲学者のごとく、心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして、これに加うるに小俗吏の才をもってし、さらにこれに加うるに土百姓の身体をもってして、初めて実業社会の大人たるべし」

 熱意は「土百姓の身体」にある。


6.自分の人生ドラマをどうプロデュースするか

 「一日一日をど真剣に生きる」 

 何事に対してもど真剣に向き合い、ぶつかっていく−これは「自らを追い込む」ということでもある。

 それは、手法である。私にとってこの研究会のことも同様。

 困難さから目をそらさずに、正面から立ち向かう。そこが成功を手にすることができるか否かの分かれ道である。

(1) 成功を勝ち取るのだ、という切迫した気持ち
(2) 物事を素直に見られる謙虚な姿勢
->解決への糸口を見つけることにつながる。
=「神のささやく啓示」「神が手を差し伸べたくなるぐらいにまでがんばれ」

 苦難から成功へ。プロジェクトX。


7.現場で汗をかかないと何事も身につかない


 「知識より体得を重視する」
 「知っている」ことと「できる」ことはかならずしもイコールではない。

 昨日の白鳳VS栃の心戦。白鳳は実に複雑なことをしていた。

<本田宗一郎の言葉>

 「みなさんは、いったいここへ何しにきたのか。経営の勉強をしにきたらしいが、そんなことをするひまがあるなら、一刻も早く会社へ帰って仕事をしなさい。やることは一つ。さっさと会社に戻って仕事に励みなさい」「こんな高い参加費払ってくるバカがどこにいる」

 「できる」より上位に「する」「やる」ということがある。


8.ただいま、このときを必死懸命に生きる


 あふれるような熱意をもって、ど真剣に懸命にいまを生きること。目の前のことに没頭して瞬間瞬間を余念なく充実させること。それはまた明日や将来を切り開くことにも通じていく。

 氏は「長期の経営計画というものを立てたことがない」と言う。
 今日を生きることなしに、明日はやってこない。今日という一日を一生懸命に過ごす。どんなに壮大な目標を掲げてみても、日々の地味な仕事に真剣に向き合い、実績を積み重ねていかなければ成功はありえない。偉大な成果は堅実な努力の集積にほかならない。

 今こそ出発点
 人生とは毎日が訓練である   
 わたくし自身の訓練の場である
 失敗もできる訓練の場である  
 生きているを喜ぶ訓練の場である

 今この幸せを喜ぶことなく  
 いつどこで幸せになれるか
 この喜びをもとに全力で進めよう  

 わたくし自身の将来は    
 今この瞬間ここにある   
 今ここで頑張らずにいつ頑張る     

              尾関宗園(臨済宗大徳寺派)


 天地自然は、この宇宙で必要であるからこそ、私たちを存在させている。だれ一人、何一つ偶然に生をうけたものはなく、したがってムダなものはこの世にはいっさいない。


9.「好き」であればこそ「燃える」人間になれる


ものには三つのタイプがある。
(1) 火を近づけると燃え上がる可燃性のもの。
(2) 火を近づけても燃えない不燃性のもの。
(3) 自分で勝手に燃え上がる自燃性のもの。

 どうしたら自燃性の人間になれるか。最大にして最良の方法は、「仕事を好きになる」ことである。

 動物園のオットセイは見事な曲芸をする。飼育係は、報酬(魚)を使って望ましい行動を引き出すのがとてもうまい。これは報酬を与えることが抜群の動機づけテクニックであることを証明している

   ->オットセイと魚の原理

 そこで社長さんは考える
 「オットセイでこんなにうまくいくのなら、私の部下にもそのやり方が通用するはずだ」

   ->・・・・御社に、それだけ魚があればね

 パズルを檻の中に置き、そこにサルを入れてみた。すると、サルはこのパズルに大きな関心を示し、熱心にパズルに取り組んだ。それを楽しんでいるようだった。まるでその活動をすること自体が「報酬」であるかのようだった。  

->「内発的動機づけ」サルとパズルの原理
エドワード・L・デシ 1995「人を伸ばす力」

 「好き」こそが最大のモチベーションであり、意欲も努力も、ひいては成功への道筋も、みんな「好き」であることがその母体になるということである。
 どんな分野でも、成功する人というのは自分のやっていることにほれている人である。仕事をとことん好きになることがが仕事を通して人生を豊かなものにしていく唯一の方法といえる。

 相手が自分であれば、これで良い。しかし、相手は好きな人ばかりではない。

 経営者と労働者の間には、深くて暗い川がある。

 そこを安易に混同するとブラック大賞(大将)になる。と私は考える。


10.自分に打ち勝ち前に進め、人生は大きく変わる


 自分の仕事を好きになるには一生懸命、一心不乱に打ち込んでみること。
 苦しみの中から喜びがにじみ出るように生まれてくる。

 そのためには、「自分はすばらしい仕事をしているのだ」「なんと恵まれた職業についているのだろう」と心の中でくり返し自分に言い聞かせる。

 かわいいわたしの巫女人形さん
 わたしの人生は
 限りない希望にふくらんでいます
 ますます良い仕事ができて
 すばらしい すばらしい人生です
 ありがとうございます
               氷川女体神社の祝詞

 大切なことは「自分に打ち勝つ」こと。つまり利己的な欲望を抑えること、自分を甘やかそうという心をいさめること。それができなければ何事も成し遂げることはできないし、もてる能力を最大限に発揮することもできない。

<たとえば>

 「オレが本気さえ出せば、あいつ以上の点がとれる」

 そうしているウチに時間は容赦なく過ぎて、君が誇る潜在能力さえも劣化していく。

 人の真の能力とは、物事に愚直に取り組む克己心まで含む。
 まじめ、ど真剣、懸命に仕事をする。その平凡な言葉にこそ人生の真理は隠されている。


11.複雑な問題も解きほぐせばクリアに見えてくる


 京セラで、異論反論が続出し、どうしても結論が出ないと「それなら社長のところへ行こうじやないか」と、最終決裁が氏のところに持ち込まれてくる。
 そこで氏が両者の言い分を聞き、こうあるべきだ、こうしたほうがいいと結論を出すと、そうですか、そうですねとみんな納得して、それまで口角泡を飛ばしてやりあっていたのが嘘のように、すっきりした顔つきで帰っていく。

 しがらみや利害を離れた視点で冷静に問題を解きほぐしていくと、トラブルの原因は実はきわめてシンプルなことであることが多く、それを氏が指摘し、解決策を示したからである。
 部門間でもめごとがあり複雑怪奇な様相を呈している場合も、もつれた糸をたぐるように解きほぐしていくと、その原因はたとえば必要な連絡を怠ったとか、たったひと言の感謝の言葉が足りなかったなど、単純で?末な−そして何よりも利己的な−理由によることが多い。そのようなことをふまえたうえで、人間として何が正しいのかという本質に立ち返って結論を出していくので、氏の判断が結果として「大岡裁き」になる。

Q.評価する不安の払拭を、どうしたら良いでしょうか?

A.重層的な評価をやって、調整会議で部下の部下による評価とその事由を俯瞰的にチェックしながら引き出すことによって、自信をもって最終判断ができるようになった、気持ち的に楽になったという意見を事業場の長より聞くことがあります。
                             (私の「人事考課Q&A」)

例えば、二次元の問題を三次元の観点から眺める。
->弁証法である


12.国際問題、国家間の摩擦も単純に発想してみる

 従軍慰安婦問題や南京虐殺問題等

 迷惑をかけた相手には謝る−それは常識や理屈を超えた、あるいは利益や体面以前の、人間として行うべき普遍的な「正しさ」である。
謝ることによって失われるものがあろうとも、通すべき筋は通さなくてはならない。

 マクドナルドの謝罪会見。目も内容も全く誤っていない。反省も全くない。

 世界連邦政府構想」やEU(欧州連合)

 世界の「あるべき姿」をベースにとらえた理念と行動が、これからの世界のありようを考えるうえでも必要なのではないか。

 鳩山由起夫の「東アジア共同体構想」と現在の「TPP」を考えてみる


13.外国との交渉は常識より「リーズナブル」


 外国、とりわけアメリカでは、物事を判断するのに「リーズナブル(正当である)」という言葉がよく出てくる。

 日本の法律は、ドイツ法をモデルにしているため、基本的に成文法。アメリカは判例法。条文にはそれほどとらわれることなく、それぞれのケースに合わせて、当事者が自らの良識やルールに照らして、それが正当かどうかを判断する傾向が強い。

 英米法は、コモン・ローエクイティから成る法体系である。

 氏が原則に照らし合わせて正当だと判断し、主張したことに対して、彼らが「たしかにおまえのいうことはリーズナブルだ」と納得すれば、前例とか企業の大小などにはとらわれず、すばやく意思決定してくれる。そのために非常にスピーディに交渉を進めることができた。

 判断の基準はつねに、自分の胸に手を当てて、「人間として正しいかどうか」におくべきである。
 それは国境を超えた普遍性を有するため、多少の文化的な衝突はあっても、根っこのところでは、かならず彼らも理解してくれるからである。

 原理原則というものは、国の違いや時代の新旧を超えた、人類すべてに共通するものである。